「達亮」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:28時点における最新版
たつりょう/達亮
宝暦元年(一七五一)—文政六年(一八二三)一月三〇日。遍照院向蓮社専誉任阿。字は蒙光。三河国刈谷に、由比又左衛門の子として生まれる。母は印東氏。七歳で利勝寺において得度し、一〇歳で随念寺達源のもとで出家した。翌年より増上寺で修学し、明和五年(一七六八)宗戒両脈を相承した。のち、目黒長泉院普寂のもとで学び、俱舎・唯識・華厳・法華などを修めた。その後、京都および西国を巡遊し、随念寺の住職となった。文化七年(一八一〇)六月には、知恩院宮の命により準院家の職となり遍照院の号が贈られた。
【資料】『達亮僧正伝』(浄全一八)
【執筆者:大屋正順】