「笹本戒浄」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ささもとかいじょう/笹本戒浄
明治七年(一八七四)一月一四日—昭和一二年(一九三七)八月二六日。清蓮社信誉善阿随願。光明会の創始者山崎弁栄の高弟。全国光明会初代総監。河田米次郎の三男として、東京市浅草区黒船町(現・東京都台東区駒形)に生まれる。幼名金次郎。生家は山城屋という唐物(洋品雑貨)商。明治一七年(一八八四)一一歳のとき樹下信戒につき得度。一五歳で度牒を受け、改名して僧籍編入し一九歳で増上寺において宗戒両脈相承。二五歳で浄土宗本校を卒業、郁文館中学五年に編入し、小石川久堅町(現・文京区小石川)光円寺薬師堂より通学した。同宿に大島泰信・椎尾弁匡がいた。二六歳で金沢第四高等学校入学。鎌倉高徳院の転法輪戒珠の養子となり、明治三六年(一九〇三)東京帝国大学心理学科に入学。三一歳のとき横浜慶運寺笹本良侃に養子縁組。宗教大学(現・大正大学)で心理学を講じた。四〇歳で山崎弁栄に帰依し、大正一〇年(一九二一)三月には全国光明会の初代総監に推戴された。著書(筆録)に『真実の自己』(後に英訳)、『起行の用心』などがある。
【参照項目】➡光明会
【執筆者:佐藤良純】