「越智専明」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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おちせんみょう/越智専明
嘉永三年(一八五〇)一〇月一一日—大正一一年(一九二二)九月一四日。心蓮社一誉念阿。字は珂音。明治・大正期の教育者・浄土宗史研究者。正僧正、勧学。伯耆国東伯郡栄村(鳥取県北栄町)の河上庄左衛門の次男。幼くして赤崎専称寺の観道の下で剃髪得度し、明治元年(一八六八)増上寺明賢より宗戒両脈を相承して帰郷するが、同五年上田貫学を頼って再度上京し、増上寺貞巌寮に入って宗乗・余乗を学んだ。また福田行誡について天台教学をも研鑽した。同一七年北海道有珠善光寺の住持に就くが、まもなく帰京、増上寺山内浄運寺に住し、同二三年第一教校教授、同二六年九月高等学院の教授に就任した。さらに同二八年第一教校校長、同三二年三月宗教大学教授に就任して宗門学徒の育成に力を注いだ。一方、同年九品仏浄真寺の住持となり、のちに増上寺執事に就任し、縁山興隆会を組織して増上寺の復興にも尽力したが、同四二年の増上寺大殿炎上を機に九品仏浄真寺に隠棲、その後は浄土宗史の研究に専念した。また、増上寺執事の在任中に山内寺院学寮などが所蔵する記録文書の蒐集と保存にも努め、浄土宗教団史研究の端緒を開いた。編著書に『浄土宗三祖言行録』上・下(一八九一)、『三祖言行録便蒙』(一八九二)、『無量寿経講述』全八巻(一八九四、九八)、『浄土宗年譜』(一八九八)などがある。
【参考】今岡達音「越智専明上人」(『今岡教授還暦記念論文集』、浄土学五・六、一九三三)
【執筆者:藤本顕通】