「六方諸仏護念」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ろっぽうしょぶつごねん/六方諸仏護念
東・南・西・北・上・下の六方の諸仏が念仏の行者を護り、離れないこと。念仏者が得る現世利益の一つである。法然は『選択集』一五「六法諸仏護念篇」において、念仏者が六方の諸仏の護念を受けることを示している。これによれば念仏の行者を護念するのは「六方の如来に限らず、弥陀、観音等、また来って護念したまう」(聖典三・一八一/昭法全三四六)のであり、念仏者は諸仏・諸菩薩の護念を得ることができるとする。また『阿弥陀経』は「護念経」ともいい、その理由の一つとして善導は『往生礼讃』で、「もし仏を称して往生する者は、常に六方恒河沙等の諸仏の為に護念せらるるが故に護念経と名づく」(浄全四・三七六上~下/正蔵四七・四四八上)と述べ、また『観念法門』では「もし男子女人有って、七日七夜および一生を尽して、一心に専ら阿弥陀仏を念じて往生を願ずれば、この人常に六方恒河沙等の仏、ともに来って護念したまうことを得るが故に護念経と名づく」(浄全四・二二九上/正蔵四七・二五中)と述べる。法然はこのような善導の諸説を『選択集』などで引用し、念仏を称える者の現当二益を明かしている。
【資料】『浄土宗略抄』
【参考】石井教道『選択集全講』(平楽寺書店、一九九五)
【執筆者:丸山賢立】