「布教」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ふきょう/布教
広義には宗教を一般に広めること。狭義には浄土宗の教義を宣布すること。あくまでも宗祖の教えを間違いなく取り次ぎしてゆくことで、その根本は「自信教人信(自ら信じ人をして信ぜしむる)」(『往生礼讃』浄全四・三六二下)の「自信」である。また道綽の『安楽集』では、『大集経』を引いて「説法における者は、医王の想を作し、抜苦の想を作せ。所説の法には甘露の想を作し、醍醐の想を作せ」(浄全一・六七四上)と示し、信仰の確立によって生ずる慈悲心をその要としている。梁の慧皎撰『高僧伝』一三には説法の四要件として、声・弁・才・博を挙げ、「才にあらざれば、その言論に取るべき点なし」とさえいう。江戸期の説法指南書である牛秀の『説法式要』では、「凡そ説法とは八事を備えて而して後に成ず」として声・弁・行・徳・博学・才智・慈悲・道心の八事具備を主張している。つまり布教は、道心と慈悲心を基とし、博学や才智はその内容組織について必要であり、声、弁、行(態度)はその次であるといえよう。また、布教に必要な要件を(一)精神的要素と(二)肉体的要素の二点に分類すれば以下の通りである。(一)精神的要素とは、①信仰の確立(布教の根本は人格であり、その人格の根本は信仰である。いかに巧妙な弁舌技巧を有し、大雄弁を振るうとも、信仰なき布教は何等の権威なし)②慈悲および熱誠(慈悲憐愍の精神より火のごとき熱誠なる精神を生じ、いかなる困難にも打ち勝って布教を実行する者でなければならない)③沈毅および才智(ひとたび布教の大任を持して高座に上がる以上、いかなることがあっても、決して周章狼狽してはならないことを心掛けとする)である。次に(二)肉体的要素とは、①健康(平素放縦なる生活を避け、努めて規則的な生活をし、暴飲暴食、喫煙等注意すること。また実際の布教に際しては、睡眠を充分に取り、演説前後の食事飲酒は止め、風邪咽喉等に平生より注意すること)②風貌(常に修養練磨を重ねれば人に敬愛されることとなる。また、品位および威儀にも注意を要する。『瑜伽論』に説法の十事を説いて「威儀具足す、謂く説法の時、手足乱れず、頭動揺せず、面変易無く、鼻改異せず、進止往来威儀庠序の故に」〔正蔵三〇・七五四中〕とあり、『十住毘婆沙論』には「威儀、視瞻、大人の相有って、法音を敷衍し、顔色和悦せば人皆信受せん」〔正蔵二六・五三下〕とし、『十誦律』には教誡すべきでない者として「威儀を知らず、行ずべき処と行ずべからざる処を知らず、乃至小戒を破りて怖畏心無く次第に持戒を学ぶこと能わざるなり」〔正蔵二三・八一中〕とある)③音声(単に外形に顕れる音楽的なもののみではなく、人格の大本より出るものであるから精神的要素が完全でなければならない)である。浄土宗の布教伝道規程(宗規第八号)によれば、布教の種類には、①親教(浄土門主または法主による布教)②巡教(浄土門主または法主による、一定期間・一定地域の巡回布教)③特命布教(浄土門主の代理布教)④指定布教(浄土門主の命により指定の地域および時期に特派されて行う布教)⑤特定布教(社会福祉施設その他、特定施設・特定団体に対し、および特定の要請に応じて行う布教)⑥特殊布教(文書、童話、詠唱、音楽、映画、芸能その他の方法によって行う布教)⑦一般布教(上記以外の布教)が挙げられている。
【参考】三井昌史編『浄土宗布教全書・改編』一(ピタカ、一九七六)
【執筆者:正村瑛明】