霊円
提供: 新纂浄土宗大辞典
れいえん/霊円
一
—貞享三年(一六八六)二月六日(一説に一二月二日)。木蓮社公誉継風(一説に本蓮社)。深川霊巌寺四世、鎌倉光明寺四八世。安房の人。雄誉霊巌の室に投じ、大網大巌院三世を経て、寛文八年(一六六八)一二月霊巌寺に住し、延宝四年(一六七六)一〇月光明寺に転じた。墓所は同寺にある。また館山市北条の海雲寺には「南無阿弥陀仏江戸霊巌寺四代公誉霊円(花押)」と刻まれた名号石塔がある。
【資料】『総系譜』中、『浄源脈譜』(共に浄全一九)、『深川霊巌寺志』(浄全二〇)
【参考】宇高良哲編『江戸浄土宗寺院寺誌史料集成』「文政寺社書上」(大東出版社、一九七九)、『安房の人物シリーズ⑥雄誉霊巌』(館山市立博物館、二〇〇〇)、大橋俊雄『霊巌寺史』(霊巌寺、一九八一)
【執筆者:石川達也】
二
—元禄四年(一六九一)三月一九日。道蓮社一誉、字は法忍。結城弘経寺一八世、三河大樹寺二六世。相模国二宮知足寺で剃髪した後、小金東漸寺主天の弟子となった。増上寺で修学し、寛文一二年(一六七二)弘経寺に晋山した。延宝三年(一六七五)に開山堂を建立、同四年に大方丈を再建した。同八年大樹寺へ転住し、在住一二年で没した。
【資料】『浄源脈譜』(浄全一九)、『結城弘経寺志』(浄全二〇)
【参考】『大樹寺の歴史』(大樹寺、一九八三)
【執筆者:石川達也】