雄俊
提供: 新纂浄土宗大辞典
おうしゅん/雄俊
—唐・大暦二年(七六七)二月五日。俗姓は周。「ゆうしゅん」とも読む。成都の人。七度も出家と還俗を繰り返しながらも往生を遂げたという。戒律をたもつことは不得手であったが講説することは得意であった。講説で得た布施を無断で使用するという悪行を重ねたため、死後、閻魔王によって地獄に落とされようとしたとき「『観経』の下下品には五逆罪を犯した者でも臨終の十念で往生できると説かれている。自分は生前確かに罪は犯したが五逆罪までは犯しておらず、しかも称名念仏はその数が量り難いほどである。もしも自分が地獄に落ちるようなことがあれば、三世諸仏が妄語したことになる」と主張した。これを聞いた閻魔王は道理に折れて雄俊を西方浄土へ往生させたと言われている。法然も『登山状』において、『観経』下下品を釈する所で、この雄俊を例にあげ「一形念仏」(聖典六・五二四/昭法全四二二)した貴賤男女の念仏往生がかなわないはずはないと、念仏往生を勧めている。
【資料】『宋高僧伝』二四、『瑞応珊伝』中、戒珠『浄土往生伝』中、『新修往生伝』下、真福寺蔵『戒珠集往生浄土伝』中(『塚本善隆著作集』六、大東出版社、一九七四)、『往生拾因』
【執筆者:金子寛哉】