—延宝六年(一六七八)一〇月二七日。縁蓮社三誉唯称。伊勢国山田(三重県伊勢市)の人。山田光樹寺の林応のもとで出家し、ついで太田大光院の無絃に師事した。さらに増上寺で学を修めた後、江戸崎大念寺七世となる。詩賦や論講に秀で、学徒三千人に崇敬されたといわれる。また、三河国大樹寺にも住した。著作に『浄土論註字選』六巻、『同助見』六巻、『布薩返破論』四巻などがある。
【資料】『鎮流祖伝』(浄全一七)
【参照項目】➡無絃、大念寺一、大樹寺
【執筆者:朝岡知宏】