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西山流

提供: 新纂浄土宗大辞典

せいざんりゅう/西山流

証空を流祖とする門流。証空法然滅後、慈円から譲渡された西山善峰寺北尾往生院(現・三鈷寺さんこじ)に移り住み、ここを布教伝導活動の本拠地としたことによる。このほか、西山移住以前の住所である小坂こさか祇園ぎおんの南に位置する古称)から小坂義、あるいは『自筆鈔』に専ら用いられる特殊名目「行門・観門弘願ぐがん」の中の「弘願」から弘願義とも呼称される。証空の入寂直後、西山流観鏡証入東山とうざん義)、道観証慧嵯峨義)、円空立信深草義)、浄音法興西谷義)の四流に分かれたが、その後了音六角義)・康空示導本山義または三鈷寺義)の二流が加わり、六流となり発展した。①東山義はその祖証入の著作が未伝のため教義の詳細は不明であるが、五祖一轍正因正行を特色としたという。また証空撰『他筆鈔』は証入(あるいは弟子の観明)の筆録にもとづくと伝承されているため、現行『他筆鈔』には証入(または観明)の思想が加えられた可能性がある。その門弟には観日、証仏、観明、蓮宿、覚入等がいるが、とくに観明は知恩院六世となっている。しかしながら、東山義は南北朝末以降断絶した。②嵯峨義証慧には『当麻曼陀羅縁起』『浄土宗名目』の二著が現存するが、その教義をうかがうに足る著作は現存しない。南北朝末には断絶した。③深草ふかくさ義の立信は二〇年間証空に常随した。証空の寂後、洛南深草の真宗院を根拠地としてその教えを弘め、『観経四帖疏深草抄』を撰述した。その弟子顕意けんには深草の真宗院、洛西嵯峨の竹林寺を根拠地として、『観経疏楷定記』をはじめ一三種にも及ぶ多くの著作を撰述し、深草義を大成した。ちょうど良忠が京都上洛中の時期に相当し、顕意との間接的なかかわりあいが想定可能である。深草義の特色として特殊名目「自力仏力願力」「二尊二教」等をあげることができる。この深草義は現在京都の誓願寺総本山とする浄山宗西山深草派として法灯を継承している。④西谷義法興は『観経疏愚要鈔』を撰述し、その教えを弘めた。法興弟子、観智は関東に進出し、その弟子行観覚融は『観経疏私記』をはじめ六種の著述を撰述し、西谷義を大成した。良忠と同じ関東で活躍した行観は、良忠の寂する四六年前に誕生しており、その著『選択集秘鈔』は良忠撰『決疑鈔』に対抗した撰述書である。西谷義の特色として特殊名目「廃立傍正助正」をあげることができる。西谷義は現在、浄土宗西山禅林寺派西山浄土宗とに分かれて法灯を継承している。⑤六角義了音西谷義法興弟子で、『観経疏了音鈔』を撰述している。その教義はほぼ法興西谷義を継承してはいるが、特殊名目「廃立傍正助正」をあまり用いず、また五祖異轍の主張が強くなかったといわれている。六角義は室町時代にはすでに断絶している。⑥本山義(または三鈷寺義)の示導ははじめ東山義仏観に師事し、次に三鈷寺玄観に師事したが、師説に満足せずに、直接証空の『自筆鈔』『積学鈔』を研鑽し、その教義を立てた。示導の著作に『観経疏康永抄』がある。示導弟子仁空実導は多くの師説を筆録し、かつ派祖証空の伝記『西山上人縁起』六巻を完成させた。以後本山義は明治時代まで続いたが、今日ではその法灯は断絶している。


【参考】杉紫朗『西鎮教義概論』(龍谷大学出版部、一九二四)【図版】巻末付録


【参照項目】➡証空東山義嵯峨義深草義西谷義本山義


【執筆者:廣川堯敏】