真宗院
提供: 新纂浄土宗大辞典
しんじゅいん/真宗院
京都市伏見区深草真宗院山町。根本山。浄土宗西山深草派。建長三年(一二五一)西山派深草義祖円空立信が、西方に師跡往生院を望む深草の地に一宇を建立。後深草天皇の勅願によって大御堂、釈迦・弥陀二尊の丈六像、経蔵、鐘楼、方丈等が建てられた。弘安七年(一二八四)立信示寂の後、門下の真空如円から霊空道光、光空生智と師資相承した。立信直弟の顕意は、今出川女院の庇護を得て大御堂と経蔵の管理を生智と二分するに至り、以後、顕意の法系が真宗院を継いだ。八世兼空法位は南朝より所領を安堵されたが(「清和院文書」)、九世双救道宗は足利尊氏の従軍僧としてその上洛に乗じて入寺した。応仁の乱で焼失して以後荒廃し、やがて誓願寺の末寺となる。寛文・延宝(一六六一—一六八一)の頃、三四世竜空瑞山(西谷義)が中興。門下の慈空通西、専意一向と共に『蓮門課誦』『蓮門小清規』『臨終節要』の三部作「草山法彙」を出版した。天和二年(一六八二)四月、律院に改格。大正四年(一九一五)本堂焼失するも、昭和六年(一九三一)六六世法空観道によって再建。
【資料】『真宗講院伝灯略記』(『深草教学』一八、一九九八)、『竜空遺書』(龍谷大学所蔵)
【執筆者:稲田廣演】