良遍
提供: 新纂浄土宗大辞典
りょうへん/良遍
建久五年(一一九四)—建長四年(一二五二)八月二八日。興福寺勝願院に住した法相宗の学僧。字は信願、蓮阿と号した。住坊から勝願院とも称した。著作も多く、諸目録には五四部があったとされるが、その多くは伝わらない。隠遁後に著された『善導大意』『厭欣抄』『念仏往生決心記』は、南都浄土教を代表する著作として注目される。『然阿(良忠)上人伝』によれば、三祖良忠は良遍より浄土教を学び、勝願院を建立したという。良忠の著作には「勝願院曰く」として良遍の浄土教関係の著作からの引用が見られる。一二歳の時、東大寺戒壇院で受戒ののち、興福寺勝願院に入り、光明院覚遍から法相・因明を学び、のちに東大寺宗性からも因明を学んでいる。良遍が講会の公請を初めて受けるのは承久三年(一二二一)で、この前年の承久二年(一二二〇)を中心に『因明大疏私抄』などの因明研究書がまとめられている。その後、講会に盛んに出仕するが、延応元年(一二三九)に講会の後の延年頭を最後に、仁治三年(一二四二)四九歳にして生駒大聖竹林寺へ隠遁した。
【参考】恵谷隆戒『然阿良忠上人伝の新研究』(国書刊行会、一九八四)、北畠典生『「信願上人小章集」の研究』(永田文昌堂、一九八七)
【執筆者:坂上雅翁】