源延
提供: 新纂浄土宗大辞典
げんえん/源延
—康元元年(一二五六)。浄蓮房(また上蓮坊)と号す。鎌倉初期の天台系の僧。建仁四年(一二〇四)に法然から『浄土宗略要文』を書き与えられたとされる僧。幕府初期の重鎮である加藤景廉や伊豆密厳院別当文養房覚淵が兄弟である(『醍醐三宝院文書』「伊豆密厳院管領系図」)。はじめ澄憲について天台を学び、法然の門をたたいた後、伊豆走湯山の別当となったとされる。このことから、上洛した熊谷直実を澄憲を介して法然に引き合わせた人物とも見られている。『長楽寺文書』(世良田)によれば、建久三年(一一九二)正月に台密の法曼流を良延から伝授され、『台密血脈譜』によれば勝基や豪賢から梶井系統の法脈を受けている。これらは叡山東塔と関係が深く、そこから法然とも近かったことがわかる。また、『善光寺縁起』によれば、同六年から毎年二六年間、信濃の善光寺に詣でて極楽往生を祈願している。『吾妻鏡』によれば、建保元年(一二一三)、鎌倉に召され、将軍源実朝をはじめ三浦氏や和田氏の帰依も得て、寛喜元年(一二二九)、『観経』の日想観に基づく迎講を行っている。この前後に駿河智満寺(静岡県島田市千葉)の曼荼羅供養の導師も勤めているから、彼は師の澄憲同様に天台僧だったが、迎講などの助念仏を通して関東の有力武士の帰依を得ていたと考えられる。
【資料】『浄土宗略要文』、『長楽寺文書』(「灌頂持誦秘録」)、『善光寺縁起』、『吾妻鏡』
【参考】菊地勇次郎「伊豆山の浄蓮房源延」(『源空とその門下』法蔵館、一九八五)
【執筆者:小此木輝之】