心岩
提供: 新纂浄土宗大辞典
しんがん/心岩
正保四年(一六四七)—宝永三年(一七〇六)八月二九日。横蓮社縦誉光阿、字は頑夢。加賀国小松(石川県小松市)の嘉波氏に生まれる。寛文一二年(一六七二)に金沢浄安寺の面誉のもとで出家し、同年、生実大巌寺に遊学して、一〇世乗誉龍頓のもとで修学、貞享二年(一六八五)には伝通院へ移り一三世貞誉了也に師事した。その後、金沢大円寺を再興して、元禄八年(一六九五)に江戸へ戻り、増上寺山内の心光院に住み、宝永元年(一七〇四)に桂昌院の墓所に慧照院(念仏堂)を建て不断念仏を修した。彫刻や絵画に長け、浄土曼陀羅、釈迦涅槃像、丈六地蔵像などを残している。
【資料】「心岩和尚伝」(『略伝集』浄全一八)
【執筆者:大屋正順】