—元久元年(一二〇四)。西仙房。元々は叡空の弟子であったが、のちに法然門下となる。隠遁して静かに念仏すべく、河内国讃良ささらの、ある尼入道の長者のもとへ身を寄せた。しかし、かつての故郷の同朋同行が恋しくなり、上京。姉小路白川の祓殿はらえどの辻子の妹の尼のもとへ行き、庵のうしろに庇ひさしをつくり、そこで念仏生活をおくった。元久元年冬に、臨終正念、端座合掌、高声念仏して往生した。異香の奇瑞があったという。東山延年寺の上の山に葬られた。
【資料】『四十八巻伝』四三(聖典六)
【執筆者:角野玄樹】