宗
提供: 新纂浄土宗大辞典
しゅう/宗
尊いものとその主たる内容のこと、転じて宗教教団やその教えの内容を表す。漢字の「宗」の語源は、「宀」(建物)と「示」(机の上に載せられた犠牲から血が流れるさま、転じて神そのもの)の部から成り立ち、神を祀る建物の意であった。中国で神は祖霊を指し、もともとは祖霊を祀る霊廟の意味で、そこから尊貴性やその主旨という意味が付加されていった。その後、仏教経典が中国で翻訳されるようになると、Ⓢsiddhāntaの翻訳語として「宗」が用いられるようになる。この語は、siddha(成就され完成されたもの)、anta(終り・極致)の合成されたものであったから、仏教によって成就され完成された境地の意味から、「宗」が尊いものと、その主たる内容の意味を持つようになり、仏教諸学派の教義や集団を表す語として用いられるようになった。その意味で「宗」を構成する条件として教義は必要条件の筆頭とも言える。法然は『選択集』一で、これまで諸宗が、それぞれに教相判釈を行ってきたことを挙げ、浄土宗では道綽『安楽集』の説に従い、釈尊一代の仏教を聖道門(悟りを求める教えを基とする浄土宗以外の伝統仏教)・浄土門(往生浄土を求める浄土宗)の二門に分け、聖道門を捨て浄土門に帰すべきとし、独自の教義を有することを示している。それに加え、浄土宗の語が、中国・朝鮮の諸師の書に登場し、自身の恣意的な創作でないことを主張し、また当時、もう一つの「宗」の必要条件とされていた師資相承についても、いわゆる中国における浄土五祖(曇鸞・道綽・善導・懐感・少康)等を挙げ正統性を示している。法然は末代の凡夫が平等に救済される唯一の教えを説くという教義から浄土宗を規定した。これに対し、法然と意見を異にする南都北嶺の教団からの『興福寺奏状』等では、師資相承がなされていないことと、勅許がないことから、浄土宗の立宗を批判している。南都北嶺の者たちは、インド・中国(朝鮮半島)・日本と行われてきた師資相承と、王法、すなわち世俗的権力との融和の象徴でもある勅許を各宗成立の根拠に位置付けていた。そうした立場に立つ者たちにとって、(日本への伝来が記されない)師資相承と勅許がない浄土宗は、「宗」として認め難いものであった。これは法然が主張した、阿弥陀仏の選択した本願念仏による凡夫往生という教義を主たる根拠としての浄土宗立宗の先駆性が、仏教界を含めた当時の社会に衝撃を与えたことを示している。一方、この立宗に対する見解の相違が、幾度も押し寄せた浄土宗に対する法難を行う側の根拠にもなっていった。
【参考】佐藤弘夫『神仏王権の中世』(法蔵館、一九九八)
【執筆者:東海林良昌】