大谷禅房
提供: 新纂浄土宗大辞典
おおたにのぜんぼう/大谷禅房
法然の住居で、四国流罪から京都へ戻った建暦元年(一二一一)から翌年正月に亡くなるまで住んだ所。現在の知恩院勢至堂の場所にあったと考えられる。ここに住んだのは青蓮院慈円(慈鎮)の配慮によるもので、『四十八巻伝』三六に「慈鎮和尚の御沙汰として、大谷の禅房に居住せしめ給う」(聖典六・五七九)とあるため、青蓮院の管領地であったと考えられる。また『同』六に「大谷は上人往生の地なり。彼の跡今に有り。東西三丈余り、南北十丈ばかり。この内に建てられけん坊舎、幾ほどの構えにか有らんと見えたり」(同五九)とあり、狭い土地に建てられた簡素な禅房であったことをうかがわせる。法然没後、墓は大谷禅房の東側崖上に造られた。現在の御廟所の場所とされる。流罪前に住んだのは吉水禅房(禅室)で、現在の時宗安養寺付近と考えられる。
【参考】三田全信「知恩院起源と初期の変遷」(同『改訂増補浄土宗史の諸研究』山喜房仏書林、一九八〇)
【参照項目】➡大谷
【執筆者:善裕昭】