四暴流
提供: 新纂浄土宗大辞典
しぼうる/四暴流
煩悩の異名の一つ。「しぼる」とも読む。Ⓢcatur ogha。四流ともいう。欲暴流(欲界の見と無明以外の煩悩)、有暴流(色界、無色界の見と無明以外の煩悩)、見暴流(三界の見)、無明暴流(三界の無明)の四つをいい、百八煩悩をこれらに配当する仕方もある。善導『観経疏』玄義分に「横超に四流を断ずべし」(聖典二・一五九/浄全二・一上)とあり、良忠『伝通記』(浄全二・八九下)にも解説される。暴流とは、『俱舎論』に「諸の有情若し彼に墜れば唯だ随順すべきのみ、能く違逆するなし。涌泛漂激して違拒すること難き故に」(正蔵二九・一〇八中)というように、煩悩に支配された衆生が生死流転の中にあり続けるさまを激しい水流に譬えた語。煩悩に覆われていることを「四流に漂う」「四流に溺る」などという。煩悩を断ずるについて、「四流を断ず」のほかに「四流を度す」などともいう。例えば『大宝積経』六一には「自ら四流と諸の有を度し已り、亦た人天を四瀑河に度し、無畏の洲岸上に安置す」(正蔵一一・三五五中)などと説かれる。
【執筆者:小澤憲雄】