三種行儀
提供: 新纂浄土宗大辞典
さんしゅぎょうぎ/三種行儀
行を修する時節に対応して説かれる三種の行儀、行相で、①尋常行儀、②別時行儀、③臨終行儀の三種を指す。特に称名念仏行を対象として説かれる。源信『往生要集』の説示をもととする。聖光の『授手印』には「三種行儀事」としてこれらの行儀について細説しており、①尋常行儀は場所、身体、衣装、食事については浄不浄を問題とせず、威儀については行住坐臥を選ばず、時節の久近を選ばずに修することであり、②別時行儀は場所、身体、衣装を清浄にし、食事は一食長斎にして酒肉五辛を避け、日時を一日、もしくは七日、一〇日、九〇日と定めて修することであり、③臨終行儀は臨終時に別時行儀と同様に修することとしている(聖典五・二三九)。また、『西宗要』では尋常行儀にまた三種があり、一つには『授手印』の説示の如く修するものであり、二つには常に三万遍六万遍の念仏を称える者が、別時の念仏を修せんと思い立ち、道場を清めて一日ないし七日間、余言を交えずに修する念仏行を「尋常の中の別時」であるとし、三つには発心以来命尽きるまで月に一度時間を定めて念仏する人や、一日に一度念仏する人、一年に一度する人、一月五月九月にする人、このような人の行相で、善導の「或尽一生」の文の意に叶ったものであるとしている(浄全一〇・二〇七上~下)。さらに、臨終行儀については、臨終を迎える者の顔を西に向け、酒肉五辛を断った善知識を従え、本尊を安置し、清浄な空間を整え、正念に住して臨終を迎える手助けが必要であるとしている。しかし、臨終行儀については、法然が『往生浄土用心』で「人の死の縁は、かねておもふにもかなひ候はず…さやうにて死に候とも、日ごろの念仏申て極楽へまいる心だにも候へならば、息のたえん時に、阿弥陀観音勢至、きたりむかへ給べしと信じおぼしめすべきにて候也」(昭法全五六四)としているように、往生のための必要条件ではなく、この聖光の説も理想的な臨終時の様相として説かれているといえる。さらに聖光はこのように三種行儀を説きながら、「善導の釈を見るに尋常の行儀を正とす。別時の行は傍行なり」(浄全一〇・二〇七下)といい、尋常の行儀を最も正しい行儀であるとしている。
【参考】髙橋弘次「三種行儀について」(『続法然浄土教の諸問題』山喜房仏書林、二〇〇五)
【執筆者:郡嶋昭示】