一心即三心
提供: 新纂浄土宗大辞典
いっしんそくさんじん/一心即三心
ただひたすらに阿弥陀仏の名号を称えることにより、命終のときには必ず阿弥陀仏の来迎によって往生浄土がかなうと信ずる心に至誠心・深心・回向発願心の三心のすべてが収まるという説。『一枚起請文』には「三心四修なんど申すことのそうろうは、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもりそうろうなり」(聖典四・二九九)といい、『示或女房法語』には「願う心偽らずして実に往生せんと思いそうらえば、おのずから三心を具足する事にてそうろうなり」(聖典四・五二一)といい、『良忠上人伝聞の御詞』には「至心信楽欲生我国と観経の三心と小経の一心とは皆三心なり」(昭法全七六二)といい、「至心に信楽し我が国に生ぜんと願ず」るという本願文に説かれる心がここでいう「一心」であるとしている。横竪の三心でいえば横の三心であり、三心をそなえた一心である。
【参考】丸山博正「行具の三心について」(『小沢教授頌寿記念 善導大師の思想とその影響』大東出版社、一九七七)
【参照項目】➡行具の三心・智具の三心、一心、横の三心・竪の三心
【執筆者:郡嶋昭示】