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行快

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ぎょうかい/行快

生没年不明。鎌倉時代初期に活躍した仏師快慶弟子で、承久元年(一二一九)に快慶を補佐して奈良長谷寺十一面観音像(国重要文化財)の復興に関係し光背を制作し、次いで滋賀西教寺観音菩薩像(足ほぞ銘「巧匠法橋行快」)、同三年頃、京都大報恩寺本尊釈迦如来像(国重要文化財)を造立したことが知られる(像内銘)。嘉禄三年(一二二七)京都極楽寺阿弥陀如来像を快慶と共作したほか文暦二年(一二三五)には滋賀阿弥陀寺阿弥陀如来像(国重要文化財)、建長年間(一二四九—一二五六)の蓮華王院三十三間堂の復興造営にあたり千手観音像の一体を造立したことが知られる。建暦二年(一二一二)に法然の一周忌にあたり造立された源智上人造立阿弥陀如来立像(現・浄土宗所蔵、国重要文化財)がその作風からおそらく行快によるものとする見方もある。また近年、大阪金剛寺不動明王像(国重要文化財)が天福二年(一二三四)法眼行快作であることが確認されている。


【参考】三宅久雄「仏師行快の事績」(『美術研究』三三六、一九八六)、『極楽寺阿弥陀如来像修理報告書』(城陽市教育委員会、二〇〇一)


【参照項目】➡快慶


【執筆者:青木淳】