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源智上人造立阿弥陀如来立像

提供: 新纂浄土宗大辞典

げんちしょうにんぞうりゅうあみだにょらいりゅうぞう/源智上人造立阿弥陀如来立像

建暦二年(一二一二)正月に法然が亡くなり、その年の暮れに弟子源智発願により結縁造立された阿弥陀如来立像。国重要文化財。近年まで滋賀県信楽しがらき玉桂寺に伝来していたが、平成二三年(二〇一一)法然の八〇〇回忌にあたり、その前年に浄土宗に請来され、知恩院において遷座法要が執り行われた。その伝来は定かでないが、台座銘によると江戸時代宝暦三年(一七五三)には大坂・堺の「堺稲荷宝祥院」に伝来したことが知られ、その後、玉桂寺に移座されていた。形状は来迎印を結ぶ通形の阿弥陀如来立像で、木造(檜材)、像高九九・〇センチ(三尺像)。割矧造わりはぎづくり、玉眼。その像内には源智による「造像発願文」のほか、多数の「結縁交名けちえんきょうみょう」「念仏供養札」などが納入され、これらには約四万六千名にのぼる結縁者名が記されていた。また後鳥羽上皇や源頼朝、徳大寺公継慈円といった当時を代表する貴顕の結縁が確認されており、法然滅後の浄土宗教団を取り巻く人師の動向を知ることができる貴重な資料となっている。


【参考】『日本彫刻史基礎資料集成』鎌倉時代四(中央公論美術出版、二〇〇六)、『伊藤唯眞著作集』四(法蔵館、一九九六)【図版】巻末付録


【参照項目】➡源智上人造立阿弥陀如来立像像内納入品


【執筆者:青木淳】