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「聖」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:31時点における最新版

ひじり/聖

一般に僧侶の敬称として用いられ、民間布教にたずさわる宗教者をいう。「ひじり」の本来の意味は「日知り」で、吉凶を予知し、火を管理し神霊を祀る祭政一致の宗教者がその発祥である。天皇が「聖帝ひじりみかど」と呼ばれたのもこの意味に由来し、仏教が伝来すると民間の宗教者・呪術者の呼称として用いられた。修行を積んだ徳の高い僧を「聖人」と尊称したりする。奈良時代、本来の「ひじり」に近い宗教者は僧の姿をとり、禅師・沙弥・菩薩優婆塞うばそくなど仏教的名称で呼ばれた。平安時代の中頃から、寺院から離れ隠遁修行する僧、諸国を遊行し山林に入り苦修練行する修行者を、聖・聖人・仙人の名で呼ぶことが一般化した。彼らの行法は法華経念仏密教呪法などで、予言・治病・鎮魂・除災などに活躍し、奈良時代の行基が先達として崇められた。市聖いちのひじり阿弥陀聖と呼ばれた空也、皮聖行円がその早い例であり、平安時代の往生伝類には多武とうのみね聖増賀・書写聖性空など各地の聖が登場し、『梁塵秘抄』には聖の住所として大峯おおみね葛城かつらぎ石鎚いしづち箕面みのお勝尾かちお書写しょしゃ那智なちをあげている。鎌倉初期の『発心集』『閑居友』『撰集抄』などでは聖の浄行が讃美され、世を遁れて念仏にはげむ僧のことを「聖法師」(『一言芳談』上)と呼んだりもした。聖が集団として活動するようになると、その居住する場所が「別所」と呼ばれ、大原高野山がよく知られている。念仏聖聖人の活動は、浄土教信仰の民間普及に功績があり、浄土宗が諸国に展開する母胎となった。一遍時衆遊行念仏聖の特殊な形態である。中世には職能的な分化もすすみ、造寺・造仏・写経・鋳鐘・架橋等を行う勧進聖、高野納骨と弘法大師信仰を弘めた高野聖、葬祭に関与した三昧聖のほか、説教聖・馬聖(虚無僧)、布などの行商をする商聖もあらわれ、唱導文学・芸能の発達にも大きく貢献した。江戸時代には幕府の宗教統制で各地寺院に定着した。


【参考】伊藤唯眞『聖仏教史の研究』上下(『伊藤唯眞著作集』一・二、法蔵館、一九九五)、細川涼一編『三昧聖の研究』(碩文社、二〇〇一)、五来重『聖の系譜と庶民仏教』(『五来重著作集』二、法蔵館、二〇〇七)


【参照項目】➡行基空也別所念仏聖高野聖三昧聖


【執筆者:今堀太逸】