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大悲本懐

提供: 新纂浄土宗大辞典

2018年9月17日 (月) 10:08時点における192.168.11.48 (トーク)による版

だいひほんがい/大悲本懐

釈尊慈悲の本懐は、阿弥陀仏による救済を示すことにあったとすること。法然は『選択集』六で、「釈迦慈悲念仏を留めんが為に、殊にこの『経』を留む…四十八願の中に、すでに念仏往生の願を以て、本願の中の王と為す。ここを以て釈迦慈悲ひとりこの『経』を以て、止住すること百歳なり」(聖典三・一三五/昭法全三二六)として、釈尊慈悲は『無量寿経四十八願中の第十八願に集約されるとしている。また『津戸の三郎へつかわす御返事』にも、「されば念仏は…釈迦にも出世の本懐なり」(聖典四・五一九/昭法全五七二)と述べている。良忠法然の説を受けて『決疑鈔』三で、「まさに知るべし。此の経は、終窮の極説なり。諸仏の大悲は重苦の者に於いてす。大悲の本懐、豈に此の教に非ずや」(浄全七・二五八上)と経(『無量寿経』)に示された教(念仏)が「大悲本懐」であると表現している。また、義山素中の『和語灯録日講私記』一には、「釈迦は此の悪世に出で玉ひて衆生引導し玉ふ。此の故に発遣の教主と云也。爾れば所詮は浄土三部経を説かんが為めに出世し玉ふ。此れ大悲の本懐」(浄全九・六九八上)、「釈尊出世の本懐とは前に云ふが如く、世尊大悲の本懐なれば是れ亦出世の本懐也」(同・七〇一下)とあり、経(浄土三部経)を説くことが「大悲本懐」であるとし、「出世本懐」と同義的に理解している。


【参照項目】➡出世の本懐


【執筆者:大屋正順】