華頂寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
かちょうじ/華頂寺
戦前、浄土宗朝鮮開教区にあった寺院。平壌教会所ともいう。明治三五年(一九〇二)四月に、同開教区の開教院に在留していた佐和円真が山根政治宅に仏像を安置し仮教会所として開教を始めたのが端緒。その後、浄財を集めて現地人より家屋を購入し、修繕を加えて同月二八日に開堂式を行った。初代主任には佐和が就任、翌月に日本人子弟のための学校を開設した。第四代主任飯尾弁重は同四一年三月に三二坪の本堂、庫裡を新築した。また、教育・福祉事業として、同年二月に私立救護院、五月に平壌日語夜学校、七月に平壌浄土宗語学校を相次いで設立した。同四四年一二月、第七代主任神林周道が当時の大和町に移転、同地で本堂、庫裡を新築した。旧教会所は浄土宗朝鮮人協会、浄土宗語学校として布教、教育の場となった。大正二年(一九一三)三月に、第八代主任大谷清教が日本人教会と朝鮮人教会を合併、同三年に寺号を華頂寺とした。昭和三年(一九二八)には本堂が火災により焼失したが後に復興。同二〇年、日本の敗戦とともに教化活動に終止符がうたれた。
【参考】柴田玄鳳編『浄土宗開教要覧』(浄土宗、一九二九)、「浄土宗海外開教のあゆみ」編集委員会編『浄土宗海外開教のあゆみ』(浄土宗開教振興協会、一九九〇)
【執筆者:江島尚俊】