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阿弥陀入滅

提供: 新纂浄土宗大辞典

あみだにゅうめつ/阿弥陀入滅

阿弥陀仏入滅する、という説。『無量寿経』や『阿弥陀経』に説く阿弥陀仏無量寿について、これを未来永劫にわたって永遠に存続するものとして理解せず、あくまでも「計り知れない」という意味において無量であって決して無限の寿命というものではなく、阿弥陀仏もやがては入滅する、とする説である。『大阿弥陀経』には「仏ののたまわく、阿弥陀仏、その然る後に至りて般泥洹はつないおんしたまわば、その蓋楼亘菩薩すなわちまさに仏と作りて、惣じて道智典主を領す。世間および八方上下を教授して過度するところの諸天人蜎飛蠕動けんぴねんどうの類、みな仏泥洹の道を得せしむ。その善福徳、また大師阿弥陀仏の如くなるべし。住止すること無央数劫なり。無央数劫また劫を計るべからず。大師に准法して、爾してすなわち般泥洹す。その次に摩訶那鉢菩薩、まさにまた作仏して智慧を典主し、教授を惣領し過度せらるべし。福徳もまさに大師阿弥陀仏の如く、止住すること無央数にも、なおまた般泥洹せず、展転相承して経道を受けて甚だ明らかに、国土極善なり。その法、かくの如くして終に断絶あること無く、極むべからず」(浄全一・一二二上正蔵一二・三〇九上)と説き、阿弥陀仏入滅するとその次は蓋楼亘菩薩阿弥陀仏と同様の仏となり、そして仏となった蓋楼亘菩薩入滅するとその次は摩訶那鉢菩薩阿弥陀仏と同様の仏となり、このように次から次に菩薩阿弥陀仏と同様の仏となっていく、とある。また『観音授記経』には「阿弥陀仏寿命百千億劫なり。まさに終極あり」(正蔵一二・三五七上)と説いた上で、念仏三昧を獲得した菩薩仏滅後も阿弥陀仏を見ることができ、阿弥陀仏入滅の後には観音菩薩正覚を得て浄土荘厳し、観音菩薩の次には大勢至菩薩正覚を得て浄土荘厳すると説かれている(正蔵一二・三五七上)。

中国では隋代に浄影寺慧遠が『観経義疏』において阿弥陀仏有相の仏身であるという説明をした上で、『観音授記経』を典拠として阿弥陀仏寿命について、無量寿仏無量寿とは寿命が長久ではあるがそこには上限があり、この上限がある寿命について凡夫二乗では計り知ることができないので「無量寿」と表現していると述べている(浄全五・一七二上)。慧遠阿弥陀仏入滅説を提示して以後、中国浄土教ではこの問題が仏身仏土論と相互に関連しつつ議論が繰り返され、例えば道綽は『安楽集』で「報身が隠没の相を示現したまえるなり。滅度にはあらざるなり」(浄全一・六七六下正蔵四七・六上)と説き、また善導は『観経疏』(聖典二・一八三~五/浄全二・一一上~二上)で『大品経』を引用し『観音授記経』に説示されている阿弥陀仏入滅説を意図的に阿弥陀仏涅槃説と理解した上で、涅槃は不生不滅であり変化ではないという前提から、阿弥陀仏報身性を無生無滅のものであると指摘している。


【参考】神子上恵竜『弥陀身土思想の展開』(永田文昌堂、一九六八)、柴田泰山『善導教学の研究』(山喜房仏書林、二〇〇六)


【参照項目】➡寿命無量観音授記経


【執筆者:柴田泰山】