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西沢良正

提供: 新纂浄土宗大辞典

にしざわりょうしょう/西沢良正

明治三年(一八七〇)二月一日—昭和二二年(一九四七)一〇月二三日。最蓮社同阿。あざなは羽洲、沢音。浄土宗本山(旧時宗一向派大本山蓮華寺五〇世貫主。山形県北村山郡小田島村(現・東根市蟹沢)の守源寺住職西沢歓良の長男として生まれる。明治九年(一八七六)得度、同一七年桑折こおり無能寺において矢吹良慶より宗脈戒脈相承。同二九年浄土宗学本校を卒業。同三四年守源寺、次いで大正一五年(一九二六)天童仏向寺住職に就任。昭和九年(一九三四)時宗一向派大本山蓮華寺貫主となり、堂宇の大修築を完遂。同一五年、一教団には一教義伝灯しか認めないという「宗教団体法」が施行され、時宗の中で、一遍と関連のない一向を祖とする一向派は、時宗からの独立を求め、良正らは文部省に陳情したが受理されなかった。しかし、同一七年一向良忠弟子であったことから、蓮華寺末寺五七箇寺は、文部省了解のもと浄土宗に合流した。同年良正は浄土宗正僧正に叙せられ寺門興隆に尽力したが、同二一年老齢のため守源寺に隠棲、翌二二年遷化した。


【参考】大橋俊雄『番場時衆のあゆみ』(浄土宗史研究会、一九六三)、同『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)、浄土宗本山蓮華寺編『浄土宗本山蓮華寺史料』(浄土宗本山蓮華寺、一九八三)、『一向派浄土宗帰入関係史料』(宇都宮一向寺)


【参照項目】➡蓮華寺


【執筆者:竹内真道】