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維那

提供: 新纂浄土宗大辞典

いな/維那

法会での句頭犍稚かんちなどを司る、法要の指導的な役職。維は綱維こういのことで、一般の僧を監督指導する僧をいう。那は羯磨陀那かつまだな(Ⓢkarma-dāna)の略で授事と訳し、施物せもつ平等に分配する僧で維那ついなという。寺務を統率し、僧の雑事を司り、指授する人をいう。大衆の法悦を誘発させることから悦衆えっしゅうともいう。日本古代の寺院では上座・寺主と共に三綱さんごうと称された。禅系諸宗でも六知事の一つとして、維那いのう(「いの」とも)は、衆僧の進退威儀つかさどる重要な役割である。浄土宗では、寺規を正し住僧を統制することから転じて、法会に関して統率指導する「悦衆」的存在である。『浄土宗法要儀式大観』の「維那の意義」の項には、「法式役者中最も困難にして最も声明威儀等に該博なる知識を要するものは、維那であろう」(一・一一一)と記している。維那法会の開始に先立って式次第の説明と指導をし、また堂内の荘厳・香華灯燭などの法具・供養物の整備点検をすることもある。入堂に際しては、先進を兼ねることが多く、引鏧いんきんを打ちながら式衆の先頭にたって威儀を正して他の範となる。法要中は、序分礼讃流通分の音声部の句頭と、犍稚導師打磬だけい以外のほとんどの役にあたる。維那入堂に際して威儀如法押出おしだし)が問われる。また「一声二節いちこえにふし」というように、声量の豊富さ、音律の正確さ、音質の良正などの個人的力量が問われる。美声のみで経験不足の僧侶ではなく、法式に堪能な上席の僧侶が担当するものである。維那の巧拙によって法要の成否が決まるといえるほど、導師に準ずる重い役割を担っている。『山門通規』五には、「維那如法殊勝なれば、僧衆信修を増進し、自他得益あり。若し不如法なれば、衆僧の心浮散して、自他失益甚だし、大切成る役の故に、首者たるもの役の事なり。はかせの甲乙等にのみ心を用い、法味をたのしまず。…口にのみ誦し、心は異境を縁し摂心する事誠に難し」(『増上寺史料集』三・二九〇)と、法事勤行の心得を教諭している。


【執筆者:西城宗隆】