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松虫・鈴虫

提供: 新纂浄土宗大辞典

まつむし・すずむし/松虫・鈴虫

後鳥羽上皇に仕えた小御所の女房。建永元年(一二〇六)一二月、法然弟子住蓮安楽がこの二女を剃髪した。後鳥羽上皇は激怒し南都北嶺の弾圧運動も加わって、建永(承元)の法難が起こった。『愚管抄』には「小御所の女房」とあり、室町時代成立の『法然上人秘伝』や談義本『松虫鈴虫物語』に松虫・鈴虫の名がみられる。説話文学が流行した室町時代のころ、鎌倉時代の史実に二女の名前を付加して「鹿ヶ谷因縁談」として今日に伝わっている。一九歳の松虫(妙智法尼)と一七歳の鈴虫(妙貞法尼)は、そののち、後白河法皇の皇女如念尼のはからいで、広島県尾道市瀬戸田町(生口島いくちじま)の光明坊に移り、念仏三昧の余生を送った。尼たちは、讃岐国から赦免された帰途の法然をこの寺に迎えて説法を受けたと伝える。光明坊安楽寺(京都市左京区)には二女の木像や五輪供養塔がある。また光明坊には二女の遺髪をはじめ遺品が蔵されている。安楽寺には剃髪図(掛軸)がある。


【参考】伊藤正順「『安楽寺略縁起』の成立過程に関する研究—専想寺所蔵・談義本『松虫鈴虫物語』とその周辺」(『西山学会年報』七、一九九七)


【参照項目】➡建永の法難安楽寺光明坊


【執筆者:伊藤正順】