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投げ込み寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

なげこみでら/投げ込み寺

身寄りのない遊女や災害での被災者、行き倒れた者などが葬られた寺。災害被害者が穴に投げ込まれるように埋葬されたことから「投げ込み寺」と言われるようになったといわれる。東京の浄土宗寺院では三ノ輪の浄閑寺、内藤新宿の成覚寺などが挙げられる。三ノ輪の浄閑寺の場合では、江戸幕府公認の遊郭である「新吉原」が近くにあり、ここで働く遊女たちの中には身よりもなく死んでいく者も多く、日本提をたどった北端にある浄閑寺無縁仏として葬られるのが例となった。遊女の悲哀を歌った「生まれては苦界、死しては浄閑寺」という川柳が伝わっている。遊女のほかにも遊女の子供や遣手婆やりてばばなどの関係者も葬られたが、それぞれには戒名が授与されたうえで埋葬された。浄閑寺には安政二年(一八五五)一〇月二日の安政江戸大地震、大正一二年(一九二三)九月一日の関東大震災での被災者も多く葬られた。安政大地震横死者を悼んで新吉原貸座敷の楼主たちが毎年一〇月二日に空也念仏踊りを行ったが、関東大震災を契機にこの念仏踊り自然廃止となり、その後は関東大震災で多くの死者を出した吉原池畔で九月一日に僧侶法要を営むようになった。寺には寛保三年(一七四三)からの過去帳が保存されており、これによると遊女や被災者などを含め推定二万五千もの人々が葬られていることが分かる。


【参考】浄閑寺編『浄閑寺と荷風先生』(浄閑寺、二〇〇五)


【参照項目】➡浄閑寺


【執筆者:名和清隆】