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念仏踊り

提供: 新纂浄土宗大辞典

ねんぶつおどり/念仏踊り

念仏和讃をとなえ、鉦・太鼓などの鳴物を鳴らしながら踊る、踊りが主となった芸能をいう。踊り念仏から展開したもの。本来踊り念仏は『無量寿経』に説く「この光に遇う者は、三垢消滅し身意柔軟なり。歓喜踊躍して、善心生ず」(聖典一・二三七/浄全一・一三)、「かの仏の名号を聞くことを得ることあって、歓喜踊躍して」(聖典一・二八四/浄全一・三五)等の文に根拠を見出すことができ、「歓喜踊躍」という法悦が極まるところ自然に起こる動作であって、純宗教的意味をもつものであった。この踊り念仏の先駆者は新羅の元暁であるとする説があるが、それが直ちに日本の念仏踊りに連なるものではない。『一遍聖絵』には「そもそもおどり念仏とは空也上人あるいは市屋或は四条辻にて始行し給いけり」(『続群書類従』九・上)とあり、空也をその始源としている。以後、踊り念仏を行う系統の民間の念仏僧らによって民衆の間に浸透したが、その踊りを実際に見聞したと考えられる藤原有房は「念仏義をあやまりて踊躍歓喜というは、もどるべき心なりとて、頭をふり足をあげておどるをもて念仏の行儀としつ、また直心即浄土なりという文につきて、よろずいつわりてすべからずとて、はだかになれども見苦しき所もかくさず、偏に狂人のごとくにして〈云云〉」(『群書類従』雑部一七)とその情景を伝え、これらを放逸の至り、ひとえに外道のごとしと批判している。このように踊り念仏は、次第にその純宗教的意味が失われていった。しかし、民衆はその踊りに唱言・鳴物・跳躍動作という、祈願のための三つの要素を持つものとして鎮魂や鎮送の力を認めたのである。踊り念仏から念仏踊りへの展開は、飾りもののついた服装や仮面、太鼓・鉦・笛・羯鼓かっこなどの鳴物、また念仏和讃のかわりに恋歌や教え歌への変化などにその変容のあとをみることができ、それは踊り念仏と田楽との結合によるといわれる。田楽系の念仏踊り祖霊鎮魂や豊穣祈願の農村習俗と結びつき、盆踊り・雨乞踊り・豊年踊り・太鼓踊り・羯鼓踊り・花笠踊りなどとなった。この他、願人坊踊り・放下踊りなど勧進僧の行った念仏踊りもある。また近世初頭に出雲阿国おくにをはじめ歌舞伎踊りも念仏踊りから出発している。こうして本来純宗教的意味をもつ踊り念仏は一部を除き田楽や猿楽の影響を受けつつ、念仏踊りとなっていったのである。


【参考】大橋俊雄『踊り念仏』(大蔵出版、一九七四)、五来重『民間芸能史』(『五来重著作集』七、法蔵館、二〇〇八)、佛教大学民間念仏研究会編『民間念仏信仰の研究』(隆文館、一九六六)


【参照項目】➡踊り念仏


【執筆者:成田俊治】