順次往生
提供: 新纂浄土宗大辞典
じゅんしおうじょう/順次往生
今生を終えた次の生はただちに極楽へ往生して他の生を隔てないこと。順次生とはこの生の次の生のことで、『俱舎論』一五(正蔵二九・八一下)にいう順現法受、順次生受、順後次受などの三受業の説にもとづく。浄土教では第十八念仏往生の願によって、命終の後に順次往生すると説く。中国では『摂大乗論』の別時意趣の説により、念仏往生は別時(順後)の往生であって順次往生ではないとする説がみられるが、道綽、善導、懐感などはいずれも順次往生とする。法然は『七箇条制誡』に「年ごろ日ごろ、いみじく念仏の功を積みたりとも、臨終に悪縁にも遇い、悪しき心も起りぬるものならば、順次の往生、し外して、一生二生なりとも三生四生なりとも、生死の流れに随いて苦しからん事は口惜しき事ぞかし」(聖典四・三三九/昭法全八一四)といい、珍海の『決定往生集』(浄全一五・四七五上)、良遍の『念仏往生決心記』(浄全一五・五七〇上)等にもこの意が見られる。また永観の『往生講式』を『順次往生講式』ともいう。
【資料】良忠『東宗要』二(浄全一一・四五~六)
【執筆者:金子寛哉】