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義海

提供: 新纂浄土宗大辞典

ぎかい/義海

—宝暦五年(一七五五)一月一〇日。騰蓮社空誉。あざなは冲黙。初め増上寺山内蟠龍窟や瓜連うりづら常福寺、そして増上寺掛錫し、寛保四年(一七四四)に岩槻浄国寺二二世となり、寛延三年(一七五〇)に太田大光院三四世に転住した。享保一五年(一七三〇)に華厳宗ほう󠄂たんが著した『念仏往生明導箚みょうどうさつ』二巻に対し、翌一六年に『蓮宗禦寇ぎょこう編』二巻を著して反論。さらに翌一七年に鳳潭󠄂が『蓮宗禦寇ぎょこう雪鵝箋せつがせん』を著して反駁したのに対して、同年秋に『雪鵝箋断非』一巻を著して再反論している。宗義だけでなく三衣法服に対しての造詣も深く、江戸中期の浄土宗を代表する学僧。著書に『無量寿経浄影疏選要記』二巻、『論註輔正記』一二巻、『遊心安楽道私記』二巻、『蕉窓漫筆』三巻、『仏像幖幟義箋註ひょうしきぎせんちゅう』三巻、『仏像幖幟義図説』二巻など他多数。


【資料】『浄源脈譜』(浄全一九)、『岩付浄国寺志』(浄全二〇)


【参照項目】➡蓮宗禦寇編


【執筆者:原口弘之】