穢れ
提供: 新纂浄土宗大辞典
けがれ/穢れ
清浄でない、汚れて悪しき状態のこと。人間や動物の死をはじめ、出産や生理、失火、怪我、肉食、罪なども穢れとされ、穢れた状態になると、個人だけでなく、共同体にまで災厄を与えると考えられた。穢れの観念は、「神の嫌う所を総括したもの」と捉えることもでき、その内容は、①衛生的に不潔なもの②身体障害や皮膚病など③死④自然から受ける損害⑤人間の社会生活を乱すもの、に分類することができる。穢れた状態になった場合には、一定期間謹慎をする忌みや祓いが求められた。八世紀から九世紀にかけて、閉鎖的な貴族社会において穢れの観念は強まり、また細分化されていった。特に神社と内裏が絶対に穢してはならない場所とされ、神社を穢すと自らが神罰を受ける可能性があり、内裏を穢すと、個人的な神罰だけでなく、天皇や国家に災いを引き起こす可能性があると考えられた。平安中期に編纂された『延喜式』は、穢れが定式的に規定された早い段階での資料であり、その臨時祭の条によると、触れたことによって忌まなければならなくなる穢悪事として、人の死と出産、六畜(馬・羊・牛・犬・豚・鶏)の死と産、肉食が挙げられており、その他に、改葬、流産、懐妊、月事(女性の生理)、失火、埋葬なども挙げられている。穢れの重さの程度によって、神事や参内などを慎む忌みの日数が定められ、人の死は三〇日、同じく産は七日、六畜の死は五日、同じく産は三日、肉食をした場合には三日との規定があった。
穢れは、その発生源を離れて他の場所・人に移るとされ、人間が穢れた場所に立ち入ったり、穢れた人間と関わったりすることによるほか、穢所にあった食物や衣服、水や火によっても伝染するとされた。死によって生じた穢れは特に重視され、『日本書紀』には、イザナギが、死んだ妻イザナミを追い黄泉国に行くが、体が腐敗しウジにたかられた妻の姿を見て逃げ帰ってきて、「穢れた国に行ったので禊をしよう」と身に付けた衣服を投げ捨て、海水にもぐって身をすすいだことが記されている。民間においては、葬式に参列した後には、穢れを払うために清めの塩を振る習慣が広く見られる。また、別火や合火という、火に対する忌避の習慣も見られた。人の死が発生したことにより危機的状況になったと考え、新たな不幸や不運を招く「魔もの」を呼びやすい、憑かれやすいという信仰もあり、このため遺体の上に刃物を置く、墓穴掘りをおこなう際には事前に冷酒を飲んでおく、穴を掘る際に樒を口にくわえるなどの風習も見られた。こうした穢れの観念は、差別を発生・助長させた歴史、現在もその可能性のある点において、十分に留意する必要がある。
法然の穢れに対する姿勢は、『一百四十五箇条問答』に見ることができる。「一つ、産の忌幾日にてそうろうぞ、また忌も幾日にてそうろうぞ。答う、仏教には、忌という事そうらわず、世間には産は七日、また三十日と申すげにそうろう。忌も五十日と申す、御心にそうろう」(聖典四・四七〇/昭法全六六五)と、産の忌み、死の忌み、両方を「仏教に忌みなし」との立場から否定しているが、忌みは神仏に関することだけでなく、宮中に上がることなど生活全般にわたることなので、完全に否定するのではなく「あなたのお考え次第」と余地を残している。また、「臨終の時、不浄の物のそうろうには仏の迎えに渡らせたまいたるも返らせたまうと申しそうろうは、まことにてそうろうか。答う、仏の迎えにおわします程にては不浄の物ありというともなじかは返らせたまうべき。仏は浄き穢きの沙汰なし。みなされども観ずれば穢きも浄く、浄きも穢くしなす。ただ念仏ぞよかるべき。浄くとも念仏申さざらんには益なし。万事を捨てて念仏を申すべし。証拠のみ多かり」(聖典四・四七三/昭法全六六七)と、臨終の場に不浄な人がいると、仏さまがお迎えにみえても引き返されるといわれていますが、それは本当ですか、との問いには、仏という立場からは「きれい、きたない」などの差はなく、凡夫の視点だからこそ、「きれい、きたない」と映ってしまうだけのことであるから、何事も心配せずに念仏だけ称えなさいと強調している。
【参考】波平恵美子『ケガレ』(東京堂出版、一九八五)、藤井正雄『祖先祭祀の儀礼構造と民俗』(弘文堂、一九九三)、山本幸司『穢と大祓』(解放出版社、二〇〇九)
【執筆者:名和清隆】