種性
提供: 新纂浄土宗大辞典
しゅしょう/種性
「しゅうじょう」とも読み、種姓とも書く。Ⓢgotraの訳。gotraはもともと「牛(Ⓢgo)を保護する」との意味であるが、これを人間に置き換えて、家族・血統・氏族などを意味し、それ以外にも広義がある。仏教学的には仏または三乗、つまり声聞・縁覚・菩薩などのそれぞれにさとりを開く種となる素質・素性を声聞種性・縁覚種性・菩薩種性という。また三乗の種性いずれにも確定しないものを不定種性、さとりを得る能力のないものを無性といい、あわせて五種性という。『婆沙論』などでは、上記の三乗の三種性論や、退法・思法・護法・住法・堪達・不動法の六種性論を説いている。後の時代には、この種性に先天的なものと後天的なものがあるとして、先天的なものを本性住種性(性種ともいう)、後天的なものを習所成種性(習種ともいう)という。説一切有部などは、先天的に具わる種性いわゆる性得の仏性を認めず、後天的な仏性だけを説く。法相学派においては、種性が先天的なものか後天的なものかについては学派内で見解が分かれている。天台宗、華厳宗などではすべての者が本来仏性を具えていると説く。また種性の意味を転用し、これを菩薩の階位に配当して説くなど煩雑を極めた。曇鸞は『往生論註』上の荘厳性功徳成就偈の釈のなかに、法蔵菩薩が世自在王仏の所で無生法忍をさとったときの位を聖種性とし、「この性のなかにおいて四十八の大願をおこして、この土を修起したまう、即ち安楽浄土という」(浄全一・二二三下/正蔵四〇・八二八下)といっている。
【資料】『俱舎論』二五、『大乗荘厳経論』三一
【参考】宮本正尊「仏性論と種姓論」(印仏研究二—二、一九七〇)、高崎直道「聖種と種姓」(日仏年報三二、一九六七)、同「ツォンカパのゴートラ論」(『鈴木学術財団研究年報』三、一九七〇)、水谷幸正「DhātuとGotra」(佛大紀要三六、一九五八)
【執筆者:薊法明】