京都市東山区にある八坂神社の西南、現在の祇園甲部歌舞練場付近の一画にあったと推定される地名(南北方向の通りの名)。西山流祖証空がここに住房を構え、西山往生院と頻繁に往復したことから、西山流義を古くは「小坂義」とも呼んだ。法然の吉水の草庵にも程近く、南に隣接する六波羅と共に、念仏者が多く集まる土地であった。
【参考】高橋慎一郎「証空の小坂住房をめぐる一考察」(『日本歴史』六〇六、一九九八)
【参照項目】➡小坂義
【執筆者:稲田廣演】