寂仙
提供: 新纂浄土宗大辞典
じゃくせん/寂仙
正保元年(一六四四)—宝永六年(一七〇九)正月一七日。心蓮社薫誉、字は桂獄。金戒光明寺三六世。小石川伝通院の春岳より宗学を学び、後に下谷幡随院一二世の住職に就任。元禄四年(一六九一)、江戸城での法談で有名になり、同五年、金戒光明寺に進董して、三六世の法灯を受け継いだ。黒谷在任中、宝永四年(一七〇七)六月には知恩院宮尊統法親王の得度にあたり教授師を務め、同年八月には将軍徳川綱吉の要請に応じて、江戸にて説法を行った。同五年に帰洛するまで、江戸滞在中は下谷晴雲寺に留まったが、同六年(一説に元禄一六年)に世寿六六歳にて遷化。著書に『光明記』二巻、『原人論続解序』一巻がある。
【資料】『黒谷誌要』『下谷幡随院志』(共に浄全二〇)、『浄源脈譜』『三縁山志』一〇、『総系譜』(いずれも浄全一九)
【執筆者:井野周隆】