円冏
提供: 新纂浄土宗大辞典
えんげい/円冏
寛永一一年(一六三四)—宝永三年(一七〇六)九月一五日。信蓮社玄誉、字は無為。百万遍知恩寺四一世。京都の人。一三歳のとき、父の死別により発心して、深川霊巌寺の珂山に師事し修行に励んだ。寛文七年(一六六七)、禅定中において阿弥陀仏の真身を観たという。元禄元年(一六八八)一二月一日、台命によって小金東漸寺から知恩寺に移り、同二年五月、経蔵を建て一切経を納めた。また、同一〇年に庫裡を新築、同一六年六月一六日に鐘楼堂を建てた。初発心から臨終に至るまで、決して横にならず日課六万遍念仏し、百万遍念仏が二十余回、「三部経」読誦が一三九〇五部、『阿弥陀経』読誦が一五八〇一五部に及んだという。
【資料】『百万遍知恩寺誌要』(浄全二〇)、『鎮流祖伝』八(浄全一七)
【執筆者:今井英之】