—文化一二年(一八一五)七月二三日。江戸に生まれる。博覧の学匠。増上寺に掛錫かしゃくしたが不調に終わり、鹿ししヶ谷たに金毛院に移る。しかし住職の現定と意見が合わず嵯峨天龍寺内宝筐庵に移り、学問に専念する。見識にすぐれた人で内外を問わず諸宗の教学を究めた。中でも華厳の権威として知られ、徳本に「栂尾とがのおの明恵上人の再来」と言われるほどであった。また寛政版『観心覚夢鈔』、新版『観経疏伝通記』等の校訂を行った。
【資料】『略伝集』(浄全一八)
【執筆者:朝岡知宏】