にゅうががにゅう/入我我入
真言密教の理念を示す用語の一つで、仏と自身が不二となることを示す語。法然の『往生大要抄』は真言宗の入我我入阿字本不生の観について、天台・華厳・仏心各宗の観法と同列に「即身頓証の理を観ずとも真言の入我我入阿字本不生の観…理は深く解は浅し。かるが故に末代の行者その証を得るに極めて難し」(聖典四・三〇二/昭法全四九)と論じる。この点について義山・素中の『和語灯録日講私記』は「入我々入とは本尊我に入り我本尊に入る義なり。『秘蔵記』に云く諸仏を吾が身中に引入し吾が身を諸仏の身中に引入す」(浄全九・七一二下)と解説する。
【参照項目】➡阿字、阿字本不生
【執筆者:袖山榮輝】