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光冏

提供: 新纂浄土宗大辞典

こうげい/光冏

—明応元年(一四九二)五月一四日。文蓮社隆誉珠阿。増上寺四世。近江国蒲生郡に蒲生秀胤の家臣蒲生秀重の二男として生まれる。秀胤の猶子となった秀重は跡目相続をめぐって失脚、光冏はひとり家を出て、関東に下り増上寺三世聖観に師事し剃髪得度。性俊逸にして、内外の典籍に通じ、和歌・詩賦にもすぐれていた。駿河国(静岡県裾野市葛山かずらやま)に仙年寺を開創。文明一一年(一四七九)一一月二六日、聖観のあとを受け増上寺に住し、明応元年五月一四日病により遷化した。


【資料】『三縁山志』九(浄全一九)


【参考】『大本山増上寺史』(大本山増上寺、一九九九)


【執筆者:福田行慈】