他力本願
提供: 新纂浄土宗大辞典
たりきほんがん/他力本願
他力と本願は同義で、いずれも阿弥陀仏の救済の力のこと。その働きは阿弥陀仏の四十八願の成就力によるものであり、特に第十八念仏往生願の成就力を指す場合もある。世間一般において浄土教の性格を端的にあらわす語句として用いられる場合も多いが、中国の祖師にその用例は見られず、法然は『十二問答』に自力他力について述べるなか「かるが故に他力本願ともいい、超世の悲願ともいうなり」(聖典四・四三八/昭法全六三八~九)と述べ、聖光も『西宗要』に「念仏をよくよく行ずれば他力本願にはあい叶へり」(浄全一〇・二二二上)と述べるのみで、その用例は必ずしも多くない。良忠の『疑問抄』下に「貪瞋は無始串習の法なり。故に強し。願生は今生に始めて励む心なり。故に弱きなり。他力本願はこの時に当たって、利益を施すなり」(聖典五・三四六~七/浄全一〇・四八下)と述べるのをはじめ、浄土宗においても良忠以降はその用例が多くなる。なお、世間一般において、自己の力でなく、他人の力によって望みを叶えるという、他者への依存という消極的な意として用いられるが、これはこの語の本来の意とは大きく異なる。
【執筆者:石川琢道】