二身
提供: 新纂浄土宗大辞典
にしん/二身
仏身を二つの面から見ることで、仏身論における仏身規定の一種。二身論、二身説ともいう。二身の分け方には多くの説がある。①釈尊の入滅後、釈尊が説いた法を不滅の身である法身(Ⓢdharma-kāya)と呼び、現実の釈尊の肉体を生身、肉身、色身(Ⓢrūpa-kāya)と区別して呼ぶようになった。これは法身と生身(肉身・色身)の二身を立てるものである。②『大智度論』九では「仏に二種の身有り。一には法性身、二には父母生身なり」(正蔵二五・一二一下)として法性身と父母生身の二身を立てる。この場合の法性身とは、後に成立した三身説の法身と報身の両義を兼ねている。また『同』三〇では真身と化身、『同』三三では法性生身と随世間身、『同』三四では法性生身仏と化仏としているが、すべて内容は同じものと言える。③『大智度論』一〇では、神通変化身と父母生身の二身を立てる。これは神通力でまた別の姿に変化した身のことと、父母生身のことであるが、仏身論においてはどちらも化身として、さらに言及することは少ない。④曇鸞『往生論註』下では、法性法身と方便法身の二身と、実相身と為物身の二身に分ける両説が挙げられている。⑤浄影寺慧遠は『大乗義章』一九の三仏義、『無量寿経義疏』『観経義疏』において真身と応身の二身を立てる。⑥法然は真身と応身の二身を立てる。『逆修説法』一七日において、「今しばらく真身化身の二身を以て、弥陀の功徳を讃嘆したてまつる。この真化二身を分かつこと、双巻経の三輩の文の中に見えたり。まず真身とは、真実の身なり。…これ修因感果の身なり」(昭法全二三二)と、本願成就の仏身を真身とする。化身とは「次に化身とは、無にしてたちまち有なるを化と言う」(昭法全二三三)として『無量寿経』や『観経』の文を引き、来迎に際して真身と共に現れる仏であるとしている。法然がこの真化二身を立てるのは、『無量寿経』『観経』の経説に基づくとともに、極楽にまします本願成就の阿弥陀仏こそが、阿弥陀仏の真の姿であることを強調するものと言えよう。
【参考】神子上恵龍『弥陀身土思想の展開』(永田文昌堂、一九六八)、田村芳朗「法と仏の問題—仏身論を中心として」(『田村芳朗仏教学論集Ⅱ 日本仏教論』春秋社、一九九一)、髙橋弘次「法然の真化二身論」(同『改版増補 法然浄土教の諸問題』山喜房仏書林、一九九四)
【執筆者:曽和義宏】