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十一門義

提供: 新纂浄土宗大辞典

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じゅういちもんぎ/十一門義

観経』の九品(第十四観から第十六観)に対する善導解釈。一一種の項目にわたることから「十一門義」と呼ばれる。また九品各々に一一門があり合計九九門となることから、これを総称して「一百番義いっぴゃくばんぎ」ともいう。『観経疏散善義に説かれる一一項目とは、第一に対告者の明示、第二に品位の確定、第三にその品位に相当する人の提示、第四に三心正因とすること、第五にこの品位の人が実践可能な修行の提示、第六にこの品位の人が受ける教えの内容、第七に修行の時間、第八に修行回向極楽世界への往生を願うこと、第九に阿弥陀仏聖衆来迎往生するまでの時間、第一〇に往生以後に極楽世界で蓮の花が開くまでの時間、第一一に極楽世界で蓮の花が開いた後の功徳(聖典二・二八六/浄全二・五五上)をいう。しかし、経文では十一門義の項目を完全に具えているのは上品上生のみで、他の八品については欠ける項目がある。善導はそれを経典の隠顕を示すものとして、たとえ経文中に説示されていなくとも、経文には明らかにこの意が包含されるとしている。特に三心については、上品上生のみならず九品すべてに含まれ、さらに定善にも通じると理解する。なお道綽安楽集』の観経九品各々において「臨終正念即得往生」があるとする説(浄全一・七〇〇上)が、この説の原型的な内容と考えられる。法然は『観経』の下品下生解釈して、金蓮華のみの来迎化仏来迎はないようにみえるが、『逆修説法一七いちしち日に「善導の御意は、観経十一門義に依らば…一々の品の中に皆なこの十一有りと。然らば下品下生の中にも来迎あるべし」(昭法全二三三)とあるように、下品下生においても仏の来迎があると理解する。


【参照項目】➡一百番義


【執筆者:柴田泰山】