顕密体制論
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:23時点における192.168.11.48 (トーク)による版
けんみつたいせいろん/顕密体制論
日本中世の宗教と国家の関係についての学説。権門体制論ともいう。昭和五〇年(一九七五)、黒田俊雄が論文「中世における顕密体制の展開」(『日本中世の国家と宗教』)で提起した。顕密体制とは、中世において国家と相即し正統的とみなされた宗教のあり方を示す概念。当時の宗教の存立基盤を鎮魂呪術的な密教の祈禱呪法に求め、密教を究極の原理として諸宗派や神祇信仰などが統合され、ゆるやかな競合的秩序を形成したあり様を描き、当時の宗教全体の相関的・統一的な状況や、宗教的相貌をまとう中世国家の特質を明らかにした。顕密体制の形成は延暦寺の動向を中心に叙述され、とくに顕密主義の典型として天台本覚思想をあげ、その本質が密教であることを強調する。中世の実情では、中世的転換を成し遂げた顕密仏教(旧仏教)こそ中心勢力であるとし、僧侶の類別についても中世仏教の中核を顕密仏教としたので、正統派(顕密僧)、改革派(貞慶・明恵や西大寺流)、異端派(法然・親鸞・日蓮)とする。顕密体制論によって旧来の鎌倉新仏教・旧仏教論は通用しなくなり、新仏教中心の見方は是正され、研究動向も変化し国家・社会と連動した顕密仏教の生態解明が広まった。また、平安浄土教は密教と対立的に発展したのではなく、密教による統合過程のなかでの天台的な達成とみる。なお、法然浄土宗を異端派としつつも、思想の質的高さを評価した点を見逃してはならない。本覚思想の性格規定や顕教を浄土教で代表させる傾向は問題が残るところで、批判も活発になされるが、顕密体制論を着実に踏まえた全体像の模索が必要である。
【参考】『黒田俊雄著作集第二巻 顕密体制論』(法蔵館、一九九四)、佐藤弘夫『日本中世の国家と仏教』(吉川弘文館、一九八七)、平雅行『日本中世の社会と仏教』(塙書房、一九九二)、末木文美士『鎌倉仏教形成論』(法蔵館、一九九八)
【執筆者:善裕昭】