見道
提供: 新纂浄土宗大辞典
けんどう/見道
四諦の理を明らかに理解する位のこと。修行の階位の一つ。Ⓢdarśana-mārga。見諦道、見位とも訳される。修道・無学道と共に三道という。見道とはおおよそ四諦を現観する位といえる。すなわち、それまで修行を重ねてきた者に、初めて汚れない無漏の智慧が生じ、その無漏智によって四諦を明らかに知る。それによって心と煩悩の結びつきが断ち切られる。これは、瞬間の体験とされる。また見道に入ると修行者は聖者と呼ばれ、それが終わると修道に入る。見道において断ち切られる煩悩は見所断の煩悩といわれ、それらの煩悩は見道においてすべてが断ち切られ、それ以降、修行者の心と結びつくことはない。大乗ではこのような見道とは異なるものが、菩薩の見道として説かれる。それは、声聞との比較においてその優位性が示されている。すなわち『摂大乗論』二には、菩薩の見道とは唯識性に悟入し、それゆえ所知相に悟入し、そして菩薩の初地に入ることとされる。それは法の根源に通暁し、如来の家に生まれることなどであるとされる。そして、このような菩薩の見道は、種々の点で声聞の見道よりも優れたものと説かれている。
【参考】長尾雅人『摂大乗論—和訳と注解—』下(講談社、一九八七)
【執筆者:石田一裕】