生没年不明。揚州出身の人。出家して慧日道場に住す。律僧であり、十誦律と四分律を固く堅持していた。あるとき、諸国行脚の沙門から『無量寿経』の「其仏本願力聞名欲往生」の偈頌を聞くが、その場では信服しなかった。後に戒を破って、仏道修行から身を引く。さらに重病にかかって死の淵をさまようが、三日後に辛くも復調する。自らの所業を深く懺悔し、以前に聞いた『無量寿経』の偈頌に霊瑞を感じて浄土教に帰依。三年の後に往生の素懐をとげた。
【資料】『真福寺善本叢刊』六(臨川書店、二〇〇四)
【執筆者:工藤量導】