玄海
提供: 新纂浄土宗大辞典
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げんかい/玄海
一
—延享四年(一七四七)七月八日。馨蓮社惟誉。字は曇香。肥前国正覚山大音寺八世。生年、生地などは不明。増上寺の学寮にて研鑽を積む。その学識は詩文にまで及び、太宰春台や服部南郭といった荻生徂徠の門弟たちと交遊があった。特に服部南郭とは親交が厚く、玄海が江戸を離れた後も書簡を応酬する間柄であった。元文五年(一七四〇)六月、大音寺八世となる。在職八年間を経て、同寺で示寂した。
【資料】『続三縁山志』(浄全一九)
【参考】『長崎市史』地誌編仏寺部・上(長崎市役所、一九二三)、田尻祐一郎・疋田啓佑『叢書・日本の思想家一七 太宰春台・服部南郭』(明徳出版社、一九九五)
【執筆者:加藤弘孝】
二
正徳二年(一七一二)—寛政六年(一七九四)四月一七日。青蓮社香誉。諱は耆山。字は玄海(懶翁)。江戸神田(東京都千代田区)の人。姓は栗原氏。一一歳で増上寺山内安立院の義誉のもと出家し、伝通院山内処静院の檀察(霊山寺・常福寺・伝通院歴住)に師事したのち青山に隠棲して自ら耆山と称した。母を梅窓院に葬り、その墓の側に寿蔵を建てて住み、礼誦称念に励んだ。学行ともにすぐれ、特に詩文に堪能であった。著書に『青山樵唱集』一〇巻がある。
【資料】『略伝集』(浄全一八)、恵頓『泉谷瓦礫集』
【執筆者:大屋正順】