理解と実行、また智解と修行のこと。聖冏の『糅鈔にゅうしょう』二三に「法の相を解するを名づけて之を解と為、所解に進趣するを之を曰ひて行と為。解行とは智行の称なり。智目行足、清涼池に到る」(浄全三・五一七下)とあるように、教理を智解しそれを実践することであり、解と行は相助けて一体となることで目的を達成するものである。浄土宗においては『決疑鈔』二に「若し浄教を解する者は、即ち、専ら正行を修す」(浄全七・二二九上)とあるように、解は浄土の教えを心得ること(安心)、行は正行(起行=念仏)に当てはめる。
【執筆者:兼岩和広】