久保了寛
提供: 新纂浄土宗大辞典
くぼりょうかん/久保了寛
文政一二年(一八二九)—明治三一年(一八九八)七月八日。信蓮社厚誉忠阿。字は龍水。鴻巣勝願寺四二世、小石川伝通院六八世、清浄華院六七世。信濃国水内郡久保寺村(長野市安茂里)に生まれ、天保一〇年(一八三九)三月深川安宅西光寺で得度し、同一三年より増上寺に入り修学。宗学のほか漢籍を東条一堂に学び、隆賢や義観のもとで性相を学んだ後、増上寺学寮を相続。明治六年(一八七三)五月勝願寺住職になり諸堂の復興に努めたが、同一五年五月の火災により焼失。再び寺域の復興を志し、同二四年一〇月本堂および庫裡を再建。同二五年一〇月伝通院に転住し、同二七年七月に清浄華院住職となり、正僧正に叙せられた。また在任中は淑徳女学校の名誉校長を務めた。同三一年春に病により退院し、勝願寺で示寂。
【資料】『清浄華院誌要』(浄全二〇)、『浄土教報』三三〇(明治三一年七月一五日)、『浄土宗本末一派寺院明細帳』
【参考】藤本了泰『浄土宗大年表』(山喜房仏書林、一九九四)
【執筆者:石川達也】