具足十念
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:22時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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ぐそくじゅうねん/具足十念
南無阿弥陀仏の念仏を十声称えること。『無量寿経』の第十八願には「もし我仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽して、我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せんに、もし生ぜずんば、正覚を取らじ」(聖典一・二二七/浄全一・七)と説かれているが、この十念を善導は『観念法門』および『往生礼讃』において、名字を称することおよび名号を称すること下十声に至るまでと釈し、十念を十声の念仏とした。また『観経』の下品下生には、「声をして絶えざらしめ、十念を具足して、南無阿弥陀仏と称す」(聖典一・三一二/浄全一・五〇)とあり、十念は声を出して南無阿弥陀仏と称えることであると示される。これを引用して法然は『選択集』三において「問うて曰く、経に十念と云い釈に十声と云う。念声の義云何。答えて曰く、念声はこれ一なり。何を以てか知ることを得たる。観経の下品下生に云わく…今この文に依るに、声はこれ念なり、念はすなわちこれ声なること、その意明らけし」(聖典三・一二二)と述べ、念声是一論を確立した。したがって、具足十念は善導の釈と『観経』の説示に基づいて、南無阿弥陀仏を十声称えることとされる。
【参照項目】➡念声是一
【執筆者:曽根宣雄】